つづき
病気とわかるまでの経緯 1988.6.16生/25歳/女/現在150cm/52kg 自分の手帳や記憶などから過去を振り返る。 2003 中学3年生より天気が悪くなると偏頭痛があった。毎朝、登校する時に学校が近づくにつれ心臓の鼓動が速くなった。 時々強く心臓が締め付けられるような痛みが走ることがあった。
小、中、高と修学旅行は雨が降った。 2007 美大予備校生時代。絵は上達するも、激しい腰痛に悩まされる。一時期、痛すぎて座れないので、何時間も立ちながら絵を描いていたこともある。A病院でレントゲンを撮り、若干背骨が人よりS字がまっすぐだと診断される。確かな原因には結びつかなかったが、要するに体重に腰が悲鳴を上げていたのだろう。コルセットを手に入れる。生活は創作中心で、学校がある時は自作のお弁当か近くのお弁当屋さんの物を食べる。学校のない日は、3日間一歩も外に出ず日も浴びずに、食料も尽きて、出汁に使うニボシのみを食していたという時もある。健康なのか不健康なのか。半年を過ぎたあたりから、体重が急速に増え始める。 2008~ 晴れて大学進学。生活習慣は、学校の課題等で忙しく徹夜をしたり、ストレス発散のための暴飲暴食で乱れていた。毎年、健康診断では肥満を指摘され減量を促される。絶頂期には75kgを超える。怖くなり体重計に乗らなくなる。ダイエットを試み、一時は改善されるが、その後は変動を繰り返す。昔2.0あった視力も落ち、自主的に眼鏡を作る。耳も聞こえにくかったり、耳鳴りがしたりすることがあったため病院にかかったこともある。いずれも診断に異常はない。一方、ジャズ研、バレー部、新風エイサーと、大学のサークルをエンジョイする。 2011.2 大学3年生。新木場にある某オリエンタルランドのオブジェ制作のバイトに通う。調色係だったので、毎日色まみれになる。そのツナギがサイズ的にぱんぱんだった。 2011.2.17~27 毎日15:00になるとめまいを伴う激しい頭痛が起こる。ぐわんぐわんと波打つように痛む。歪んだ視界に映る駅の階段を、重力に負けるようにして這って登る。家に帰るも痛すぎて嘔吐。吐いてしまえば痛みはひいてゆく。自分の経験と記憶が混在していたのだろうか、ある夜、黒人の男性が血を吐く夢を見る。 2011.3.2 頭痛を相談しに、B病院脳神経外科を受診。CTに異常はなく、念のため薬だけ処方してもらう。 2011.3.11 忘れもしないあの出来事。この頃自分の頭が痛みで波打つことは無くなっていたが、硬いはずの足元が大きく波打ちひび割れた。バイト先で帰宅難民となる。4時間ほど埋立地をさまよう。東京ビッグサイトでは、始めは寒い廊下で縮こまっていたが、色まみれのツナギのおかげで作業員と間違われ暖の効いた部屋に通され、バナナとカロリーメイトと水をもらう。翌朝、広間で観たテレビの報道にショック。 2011.3.24 以前より悩まされていた腰痛の治療で、神主さんのC鍼灸院に通う。痩せなさいと言われる。このままでは危険だとも。 2011.3.25 鎖骨下に突如できた出来物が気になりD皮膚科へ。金属アレルギーとケロイド体質だと診断される。ケロイドはどんどん大きくなっていき、とにかく突然かゆくなる。 2011.6 映像業界に足を踏み入れるため、行動を開始する。人生で一番動いた。 2011.8 ある映画の製作現場に関わる。そんな中、かつてテレビで観て魅了されたあるドラマのセットの手伝いをさせてもらい感激。ストイックな現場作業により一週間ほどで5kg痩せる。この頃の体重68kg。 2011.9 その一方で手堅く教育実習に行く。教育現場は勉強になる。興味深い。この時のためのスーツ探しに苦労した。けっきょく一般より大きめサイズのお店で購入。哀しくなる。 2011.11 この頃から、徐々に色んな映像の仕事に続けて関わらせてもらえるようになる。 2011.12 一方で卒業制作に追い込みをかける。 2011.1 そして卒業制作優秀作品に選ばれる。 2012.2.9 色んなことをいっぺんにやっていたらさらに体重が減った。中学時代のバスケ部の子達に混ざってバク転するが自分だけできないという夢をみた。うじゃうじゃとした虫も出てきた。現実でも久しぶりに頭痛と吐き気がした。 2012.3.5 母と揉めながら、新居を慌ただしく会社の近くへ移す。好きなことをやりたいと突っ走っていたが、一方でお金と将来への不安がのしかかる。なんとかなると思い込もうとする。 2012.3.23 そんな中、中学高校美術教員免許取得。そして卒業。体重は60kgを切っていた。痩せたことに喜ぶ。 全然思い出せないくらい、その後は仕事に走り回り、自分というものがどこかに飛んでいた。 気持ちもイライラすることが多くなった。実家に帰省しても家族に当たってしまう。 2012.7.30~8.6 ①新居の管理がずさんで、入居した時から空調が壊れていて使えなかった。異常な猛暑が続くある朝、目が覚めると同時に目の前がぐるんぐるん回り、激しい寒気と頭痛と吐き気に襲われた。また重力に押しつぶされるようにして梯子に足を掛けるが、手足に全く力が入らずくにゃんくにゃんになりロフトベットから転げ落ちる。すねを強打。悲鳴を上げながら部屋中にごんごんぶつかりながら失いそうになる意識と闘った。熱中症だったのだろうか。その後、会社に人と待ち合わせをしていたので出勤しようと自転車を走らせる。その途中、バックで駐車場から出てきたおじいさんの運転する車にはねられる。道路に自転車ごと転がる。スマホも転がる。また同じすねの同じ所打った。意識が朦朧として是非の区別もつかなくなっていたので、急いでいたこともありその時は何も取り合わずに、会社へ向かった。 ②前回ので癖になったのか、猛暑の中、ロケの撮影現場で、作業中に熱中症をきたし倒れる。熱と寒気と倦怠感と頭痛に襲われ、車でぐったり横になる。 2013.2 この頃、長期戦の映画助手に付きながらCM、店舗など、あいかわらず何やってるのかわからないくらい忙しくしていた。生理がこなくなった。不順になることはあったが、全くこなくなった。 2013.3 トイレが近くなる。この時スタジオで毎日デスクワークの仕事をするだけだったが、喉が渇き、自販機で大好きなグレープフルーツジュースを一日に何本も飲んでいた。飲み足りない感じ。夜ご飯は毎日店屋物の出前を食べていた。ある時からズボンがゆるくなったと感じた。常に異常に眠く、朝も目覚ましが聞こえないほど深く眠っていて起きられない。駄目な自分だと諫める。 2013.4 相変わらずトイレが近い。一日に20回は行っていた。喉の渇きも続き、常に2ℓの水のボトルが引き出しに入っていて、なくなると我慢できずにコンビニに買いに行っていた。夜の出前を半分くらい残すようになる。久しぶりに会社に行くと、同僚の子にすごく痩せましたねと言われた。自分でもそう思っていた。不思議だった。 2013.5 映画の撮影現場の建て込み。目の前は海、後ろは山。広い。久しぶりの外で穏やかで景色も最高で、デスクワークから開放されたのが嬉しく楽しかったのだが、尿意と口渇が全てをぶち壊した。山の上の方まで行ってしまうとなかなか戻れないため、なるべく水分は取らないようにした。そうはいっても、砂漠にいるかのような喉の渇きを抑えることができず、かまわずに飲んでいた。そうすると作業中にバケツをひっくり返したように尿意が襲ってきて、一度も抑えられることもなく漏らしてしまった。場所が広かったので誰にも気付かれることもなく事なきを得たが、この歳にしておもらしはショックだった。現場で一緒だった色んな人たちに、痩せたね、小さくなったね、そんなに小さかったっけ?と言われ、さすがにこれはおかしいのではないかと思い始め、家に帰ると疲れているのも忘れて病気検索のネットサーフィンをして夜を明かした。思い当たる症状から調べてヒットするのは糖尿病や脳梗塞。でも違う気がするとも思いながら、現場でもお昼のロケ弁は3分の1も食べずに残し、休憩中に自分の手首を何気なく握ったら、皮だけの感触があった。帰りにみんなで立ち寄るコンビニでも、手に掴んだものを広げてみたら飲み物や乳製品ばかり。あとミニトマト。家に帰って体重計に乗ると目盛りは43kgを示していた。毎日何100gかずつ減っていき、とうとう恐ろしくなって体重計に乗るのをやめた。かつてはぱんぱんだった色まみれのツナギも、もう一人自分が入れるくらいの余裕があった。生理もこなくなって3ヶ月。肌も黒ずみ、隈も消えず、乾燥してガサガサだった。身なりとかどうでもよくなっていた。 2013.6 映画がひと段落する間もなく、次はCM、クラブの内装、祭のイベント。遠出のロケもあって絶対に楽しいはずなのに、この頃にはもはや固形物を喉に通すのが苦になっていた。よく食べていたのは、スーパーで売っていたプラムや巨峰、トマト、チーズ、牛乳。あとは水さえあれば生きていけると思っていた。植物のような生き方をしていた。水の甘味を深く味わえるようにまでなっていた。飢餓状態で口にする水は格別に美味しいのだとこの時知る。それでも誰かと食事をする時は、無理にお茶で流し込んだ。他のメンバーと自走で、途中休憩を挟みながらSAでお腹を満たそうとするが、半分以上残す。そして誰かに差し上げていた。一緒にいた人たちには申し訳ない気持ちでいた。しかしこんな状態の時にでさえ、ロケ先で頂いた神戸牛だけは「食べた」と言える。さすがに美味しかった。あれはすごい。 2013.6.7、27、28 風邪?と思うような症状が出始める。最初は気だるくて、だんだん熱が出てきて寒気がして、頭がガンガンしてくる。何をするにも気が散って。しまいには上司に怒鳴られてよろけてしまった。この頭痛も今まで経験した中でも酷かった。後頭部が鋭利なフォークで何箇所も突き刺され、鎖の付いた鉄の重りをぶら下げられ、上下に引っ張られているような痛みである。痛いのと上司に怒られたのと仕事の納期が近いのとで、この状況が哀しくて悔しくて涙が止まらなくて、会社だからと思って抑えようと息んだら米神の辺りが「ピキッ」と鳴ったのが聞こえた。先程よりもだるくて寒くて痛くて。重力に負けるように無意識に身体が机に押さえつけられた。あまりにも寒いので家に帰って熱を測ると38℃もあった。それでも私はただの風邪か軽い熱中症だろうとやりすごしていた。この症状は初日が一番ひどく、1週間もすると日が経つにつれ次第に症状はおさまっていった。その後はなんともないので、お金もないし、忙しいし、と理由をくっつけて病院には行かなかった。食事はほとんど水。ほとんど喉に流し込むように大量に飲んでいた。会社の飲料水が私のせいですぐに底を尽きた。ごめんなさい。外は蒸し暑く、周りの人たちは半袖であるにも関わらず、自分だけセーターやら冬物の色んなものを着込んでモコモコになっていた。平熱も35℃台で、寒がりになった。 2013.8.2 風邪?熱中症?と思う症状がまた出る。朝から何かぼーっとしていて調子が優れなかった。会社で上司と話していた時に、突然吐き気をもよおしトイレに駆け込んで嘔吐。今日は帰ったら、と言われたが、会社で作業を続けた。頭痛と寒気がしていた。 2013.8.5 また同じ謎の症状。頭痛、発熱、悪寒、嘔吐。吐いてしまえば症状が治まっていく。 2013.8.21 さすがに疲れたので休みをもらい実家に帰省。半年ぶりに会った家族に痩せたねと喜ばれる。しかし、絶対に美術の仕事は辞めさせられるに違いなかったので黙っていたかったが、最近の謎の体調不良をそれとなく話した。即座に病院へ行くことが決まる。 2013.8.23 D病院産婦人科にて、半年前から生理が来ていないということと異常に喉が渇くことを相談。すると内診により、左卵巣に9㎝の卵巣嚢腫があるから手術が必要との診断が下る。エコーの画像からは卵巣が満月のように真ん丸く腫れあがりお腹いっぱいに収まっているのがわかった。この卵巣嚢腫と生理が来ないことは関係ないらしい。よく女性にはある病気で、30人に1人が発症するらしいと知る。人によって再発もあり得る。たまたま見つけたできものが手術をしなければならない大きさだったということだ。喉の渇きに関しては、ホルモンが崩れるとそういう症状が出ることがあるので、とりあえず手術をしてからその後他の科で治療しましょうということになった。何もなければそれで良いと思いながらの診断結果だったので、呆気にとられていたが、卵巣があまりにも見事な丸さをしていたので、帰り道に母と爆笑した。 2013.8.24 また発熱と頭痛、寒い。会社に電話するも、あまりの頭の痛さにろれつが回らなくなる。 2013.8.25、26 一端仕事で上京。祭の現場のバラし作業。 2013.8.27 今度は長期の覚悟で、再び休みをもらう。実家に帰省。 2013.8.30 D病院にて朝食抜いてMRIを撮る。 2013.8.31 ジブリ映画「風立ちぬ」を鑑賞。余計に心に沁みる。その日久しぶりに友人からメールがぽろりと来る。あまりのタイミングの良さに涙がぽろり。 2013.9.5 D病院産婦人科再診。間違いなく9㎝の卵巣皮様嚢腫CA19-9成熟奇形腫であること。手術方法は腹腔鏡下手術。手術日の日取りも決まり、入院の説明を受ける。 2013.9.6 久しぶりに何もせずにゆっくりするという日々。体はだるくて仕方が無い。ソファーに寝転がることが多かった。母に、少しは家事を手伝ったらどうなのと渇を入れられるが、どうしても動けなかった。卵巣嚢腫についても調べ尽くし、種類は違うが、宇多田ヒカルも経験していることや、手塚治虫のブラックジャックのピノコのモデルにされた病気であることを知り、なんとなく力強く感じる。そんな中、宮崎駿監督がテレビで引退会見をしていた。また時代が変わる。それと富士山の世界遺産登録。世間は色々と盛り上がっていた。 2013.9.8 2020年東京オリンピック開催決定の報道が流れる。時代の動きを感じた。 2013.9.9 近所のコンビニで、店内で大きなほこり玉にまみれた雨蛙に出会う。つるつると水分を取られながら懸命に出口に向かって飛んでいた。あの蛙はその後どうしているだろうか。 2013.9.19 D病院産婦人科入院。この日までにはもう、いろんな方々の体験談を読んだりして、卵巣嚢腫についての知識が豊富になっていた。予想通りの段取りが執り行われていくが、初めての手術に対する恐怖心だけはぬぐえずにいた。この日は十五夜で満月。夕食にウサギの焼印が入ったおまんじゅうを食べた。夕食はほとんど残す。病院にはお見舞いや無事の出産で喜ぶ見舞いの人たちで溢れていた。 2013.9.20 緊張のあまり眠れず。手術日当日の朝を迎える。卵巣成熟嚢胞性奇形腫(皮様嚢腫)。腹腔鏡下手術による卵巣腫瘍摘出術。10:15準備を整え、意外と近代的なBGMが流れた宇宙空間のような手術室に通された。手術台に寝ると意外と柔らかく温かかった。11:00頃「麻酔入ります」の声とともにガスマスクのようなものを装着され、何呼吸かしているうちに目をぱちくりして意識が遠のく。14:00先生に「終わりましたよ」と声をかけられ目が覚める。 つづく
by no5no5mi85w
| 2014-03-31 22:46
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